薛珠麗さんが亡くなった。
「戯曲を読む会」で『テラ・ノヴァ』を読みながら、ふと
「今年こそは『スカイライト 』を演りたいな。珠麗さんに相談してみよう」
と思って、帰り道にiPhoneをいじっていたときだった。珠麗さんが亡くなったことを知らせるtweetが目に入ってきた。
私のエマがいなくなってしまった。
私たちはお互いを「私のエマ」と呼び合っていた。7、8年ほど前に、ピンターの『背信』を扱ったワークショップで、珠麗さんが前半のエマを、私が後半のエマを演じたからだ。
『スカイライト 』の翻訳データをいただいたとき「ただではもらえませんよ」と言ったら「じゃあ、いつかお茶したときにね」って言ってくださって、甘えたままになってしまった。いつか珠麗さんと横浜あたりの素敵なティールームでお茶をするんだ、と思っていたのに。一緒に『スカイライト 』をやりたいんですと言えばよかった。
初めて会ったのは、15年以上前にロバート・アラン・アッカーマンが日本の若手俳優向けに行ったワークショップ。珠麗さんは通訳で参加されていた。小劇場でエチュードから起こした台本ばかりやっていて、戯曲読解経験の乏しい私は劣等生だった。
珠麗さんの演出する『ブルールーム』(シアター風姿花伝)に出たときのノートが手元にある。珠麗さんの言葉をそのままメモしたんだろうなという表現がいっぱい書いてある。
冬に、珠麗さん主催のオンライン・ワークショップで『ガラスの動物園』を読んだ。
珠麗さんはよく「このことは言っておきたいの」「これは言わなくちゃ」と口にしていた。
ご病気のことは存じ上げていた。でも、まさかこんなすぐに会えなくなるとは思っていなかった。スケジュールの都合でお別れの会に伺うことができず、実感がないまま時間が経っている。
ある日、珠麗さんについて「翻訳観衆を担当した薛珠麗さん」と盛大に誤字っているネットニュースを見つけた。翻訳監修・・・観衆???
「この誤字は珠麗さんが黙っちゃいないぞ」
と思った。きっとユーモアを交えつつtweetするんだろうな、と想像したあとに寂しさがやってきた。もう珠麗さんの新しいtweetを読むことはないのだ。