京都で初めて借りた部屋は、1K、家賃36,000円。
鉄筋ではあったものの、かなりおかしな間取りで、ベランダどころか窓がひとつしかないし、窓から30センチ先は隣のマンションの壁。日当たりどころではない。
口の悪い後輩は見るなり「牢屋やん!」と言った。屋上には、住人専用のコインランドリーと物干し場があった。
それまでは、劇団の事務所を間借りしていた。夏から夏まで、一年間の居候生活。
先輩たちから「いつまでそんな生活を続けるのか」とちくちく言われ、一念発起して探し出した部屋だった。とにかく事務所から近ければいい。どうせ眠るだけだ。暇ができたら祖父母の家に遊びにいけばいい。
三階建の鉄筋マンションで、花にまつわる名前がついていた。私の部屋は2階の真ん中らへんにあって、手前の部屋にはパンチパーマのおじさんが住んでいた。おじさんは髪を洗った後、玄関の外(つまりパブリックな廊下)でタオルドライをしていた。会えば挨拶をしてくれる気のいい人だった。
都内にいた大学時代は、父や妹と2人暮らしだったから、純然たる一人暮らしはしたことがなかった。「牢屋」でも、初めて手に入れた自分の城だ。
玄関を入ってすぐ、二歩で通過できる程度の廊下に、右にはバストイレのドア、左を向けば水道とコンロ、というようなつくりで、1Kとは名ばかり。積極的に料理をしようという気になる部屋ではなかった。そして京都は外食文化。腹が減ったら千円札を握り締めて外に出かければいい。
マンションの階段を降りて、後院通に出ると、すぐのところに中華料理屋があった。その名も『京珉』。当時はまだ「町中華」なんて呼び名がなかったけれど『京珉』はまさに町中華。
チャーハンに餃子、定食、麺類とメニューも豊富。特に好きだったのは、玉子とほうれん草を炒めたおかず「ポパイ」。
どこかコロボックル的な雰囲気の、丸顔のおじちゃんが調理担当、おばさんが接客担当だった。
遅く起きて、モソモソと支度をして、『京珉』でポパイ定食680円を食べる。やる気が出ない日はそうして過ごした。昼ご飯とも夜ご飯ともいえない絶妙な時間にやってきては、暗い顔でポパイ定食をバクバク食べる奇妙な若者だった私に、おじちゃんとおばさんは優しかった。どうしてそんなに優しくしてくれるのか、今思い返しても謎なのだけれど、あるとき自転車を失って困っていると話したら、おばさんが「うちの使たら」と言って貸してくれた。
さすがの私も「え、でも買い出しとか大丈夫なんですか?」と言って一度は辞退したのだけれど、なんやかんやで貸してもらうことになって、いっとき、私は『京珉』の自転車で京都の街を駆け巡った。(新しい自転車を買うまでの間、しっかりお借りしたと記憶している)
あれはびっくりした。近所に住んでていて、ときどき食べにくるだけの、どこのものかもしれない女に、店の自転車を貸してくれるなんて。
2月に京都に行く予定ができた。久しぶりに『京珉』に顔を出そうかな、とGoogle マップを開いたら、なんともう閉店していた。お礼を言う機会を逃してしまった。